正負の法則

ミワアキヒロって人が言ってたんだけど、人間はいい事(正)があった分だけその分の悪いこと(負)が降りかかってくるんだってさ。
例えばアメリカでロトくじを一生遊んで暮らしてもまだ平気なくらいのお金を当てた人がいたんだって。その人は当てたはいいけどその後娘が死んだり、病気にかかったりってなとんでもない不幸が次々と起こったそうだ。これってまさしく正負の法則でしょう?
それを信じる信じないの問題以前にそういう事があるって思っているときと思わないときの人間の構え方って変わるじゃない?もしさっき挙げた例みたいにとんでもない大金を手に入れたらその分の負が身に降りかかるってわかってれば少しは救われる気になると思う。ってことは逆も然りでとんでもなく不幸な事が起こったらその分のいい事が起こるっていう希望が持てるってことでしょう??それって今の暗い世の中生きていくにあたってちょっと心の隅にあってもいいんじゃないかしら?不景気だなんだっていってもちょっとの事が楽しかったり、桜を見て今年もまた頑張ってみようとか思ったり、好きなバンドがまたアルバム出すって一喜一憂してみたり(笑)いろんないいことがやっぱりあると思うんだょ。
人間凹んでちゃ何も始まらないし、凹んで背中丸めてたら周りまで落ち込んできちゃうからやっぱり胸張ってたまには前ばっかり見てないで横向いたり空見たり足元のスミレを眺めてみたり振り返って落ち込んでる友達がいたら手を差し伸べる余裕を持って生きたいと思う。

最近周囲の人の死に敏感になってきている。この間も小6の時にクラスメイトだった男の子のお父さんが亡くなって、その前には多少は世話になった近所のおばちゃんが死んでしまった。伯父が死ぬまではそんなこと微塵にも気に留めなかったけど人の死を灰になるまでを見た今では誰か顔見知りが一人でも死ぬたびに「…また周りの人がいなくなってくんだね」なんて親に漏らしてみたりする。伯父はまだ死んだ実感無くてまた友達と遊びに行っていないのかなぁぐらいにしか思ってない。でも棺桶に入った伯父を思い出すと目頭が熱くなってもう一周忌だってのにまだ涙が出てしょうがない。本当に身内の死って言うのが衝撃的でまだ瞼の裏にその時の絵が残ってる。伯父の死は私の人生において一瞬だけどその一瞬が人の儚さというか命の尊さを感じれる気がする。
今の私があるのは今の親がいるから。どちらかが死んでしまったらきっと私は立ち直れないかもしれない。そのくらい死は恐怖で、一瞬で、何もかもを終わらせてしまう出来事なんだと思う。



真面目に生と死について語ってみましたが重かったでしょうか…?伯父が死んだくだりなんかパソコンの前で泣きそうになりましたょ。まぁ言いたかったことはうちの可愛がってたプレコが一匹天に召されましたってことです。せっかくいい名前思いついたのにな、『ボン子&丹子』(今までの台無し/笑)
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by T.Tsuduku | 2005-04-22 23:43 | 日記